グラウンドに立ったもう1人の日本代表 ~国際審判員 三浦和幸~
2016年12月23日
侍ジャパンU-12代表が大会初制覇を果たした「第9回 BFA U-12アジア選手権」。各国の若きプレーヤー達が熱戦を繰り広げたこの大会で、国際試合のグラウンドに立ったもう1人の日本代表がいた。国際審判員、三浦和幸。これまでに培った技術と経験、そして野球への想いを胸に、異国の地で初めての国際大会に挑んだ。
初めての国際試合
――今回、初めての国際試合はいかがでしたか?
率直な感想としては、こんなにも厳しいものなのかと。そもそも国際試合というものがどういうものか私自身わかっていなかったのだと思います。選手や審判のレベルややり方も各国それぞれ異なる中、さらに言葉が伝わらない状況での試合進行は思った以上に大変でした。
私も日本では大きな大会を担当したりして経験を重ね、国際審判員の試験もクリアした上で今大会に臨んだのですが、日本での実績でなんとかなるというようなものでは全くありませんでしたね。
――日本での大会のようにはいかない。
はい、ジャッジ以外の面でも日本のように周りがケアしてくれる環境もありません。海外なので食事が合わないとか文化が違うなどといったことはもちろん、昼食がないので我慢するとか、球場に置いて帰られるといったこともありました。
ホテルは大会手配だったのですが、1人部屋だと思っていたら2日目になって部屋のロックが突然ピッと鳴って解除されて「強盗か!?」とびっくりしていたらチャイニーズ・タイペイの審判が入ってきまして。知らされてなかったのですが実は2人部屋だったのですね。慌てて荷物を整理して見ず知らずの2人で共同生活の始まりです。でもそこから「ここは日本ではないのだな。もうやるしかない。何事にもぶつかってみよう」という覚悟ができました。この環境を受け入れてみようと。
――球審を務めたチャイニーズ・タイペイ対中国戦でも色々あったようですね。
他審判が下したホームラン判定について、両チームからの抗犠もあり揉めました。審判団で確認の結果、最終的にエンタイトルツーベースと訂正。私は当初からエンタイトルツーベースに見えていましたが、当初は2人の他審判がホームランと言っており、日本では一番近くでよく見えるはずの塁審の判定を他審判が覆すことは基本的にはしないので、この時何も言えませんでした。
大会規定では抗議は罰金となっていますがチーム監督はそんなことはお構いなし。言葉が伝わらない中でどんどん抗犠をしてきます。そうなると審判としての技術だけでなく、いわゆるハートや行動力、どう伝えるかがポイントとなります。この時は強い気持ちで伝えることが本当に重要だと感じました。
翌日にも同様に他審判の判定で認識が異なることがあったのですが、しっかりと「I watched.(私は見た)」と言うことができスムーズに試合進行できました。
だんだん試合を重ねてわかってきたのは、悪い意味ではなく他の審判を信用し過ぎず「自分がしっかり見るしかないんだ」と意識してジャッジする、そして最後は自信を持って人一倍動いたり声を出すべきということです。
英語がわからず共通言語がない選手や審判もいる中で、こちら側でとっさに日本語が出ても、同じ野球をする者同士、身振り手振りで伝わる。
リエントリールール(U-12で採用されている再出場ルール)適用の抗犠があった際、本部を指差しながら日本語で「本部OK!」(本部がOKと言っている)と強く言ったら、抗犠に出た監督は「 HONBU?? HONBU???? 」となっていましたが、最終的に伝わりました(笑)。
――大会運営や審判同士のやりとり、適用ルールなどはいかがでしたか?
試合については、毎晩、翌日の担当が発表されます。日本の試合は担当できません。異なる国の審判と組むことになりますが、コミュニケーション手段は基本的に英語でした。今回は3人制(決勝は4人制)でしたが、試合前にはミーティングをして動き方などを確認します。
ルールについてはボーク適用の解釈が異なる部分があったりもしました。日本ではボークにならない内容であり、その審判が日本戦を担当する可能性もあったので侍ジャパンの選手達が戸惑うことにならないよう規則書を出してきて議論したりしました。
また、ホスト国である中国の審判が交流会を開いてくれて審判間の交流もできました。
国際審判員とは?審判を始めるきっかけと醍醐味
――そもそも国際審判員とはどういったものでしょうか?
野球人気の底上げ、また各地方でも技術と熱意がある審判員が国際試合や全国大会に選抜されるようにと、アマチュア野球として統一したピラミッド型の審判ライセンス制度が開始され、1~3級審判員ならびにその最上位に国際審判員という資格が制定されました。
私は秋田県野球協会審判部に所属しており、まずは秋田県軟式野球連盟を通して国際審判員候補として推薦いただき、昨年12月に行われた第1回目の国際審判員試験の結果、私を含めて全国で21人が国際審判員となりました。その後、全日本野球協会からの推薦で、今大会の出場が決まりました。
――審判をはじめたきっかけもお教えいただけますか?
審判をやっている知り合いからの「一緒にやってみないか」という軽い誘いからでした。じゃあやりますということで28歳の時に始めました。
野球は中学までと社会人になってからは軟式野球をやっていました。高校野球に憧れもあり、やりたい気持ちもあったのですが結局やれずで。でも辞めてからも野球はずっと好きでした。そのような中で秋田県野球協会は社会人や大学・高校そして軟式野球や学童まで統一で審判を行なっており、幅広い試合を担当できます。選手ではないけれど、そのような舞台にまた戻れる。そこが審判の醍醐味です。
――高校や大学で野球をやっていなくても国際審判員になれた。
そうですね。よく野球を知っておく必要はありますが、私はもう根っからの野球小僧でした。確かに一流と言われる審判は社会人や大学までやっていたという人が多い中で、こうやって私でも国際審判員資格も貰えましたので誰でもチャンスはあるなと。でもやっぱり根本は野球が好きじゃないとダメですね。そこは絶対だと思います。
――野球が好きなら審判という道もあると。
はい、ぜひ審判を始めてもらいたいですね。審判を始めるには、まずはお住まいの都道府県の各野球団体へお問い合わせください。
今大会はターニングポイント
――あらためて今大会は三浦さんにとってどのようなものだったでしょうか。
国際大会は本当に何が起こるかわからない。理屈じゃなくて、行ったからこそできる経験ができました。とにかく自分でやらないといけない。やっていかないといけない。厳しい中で追い込んで追い込んで、そして楽しんで出来ました。最後には明日で終わりと思うと本当に悲しい、この光景が見れなくなると思うと寂しい、といった気持ちにまでなりました。
私は、今大会を通して、技術的に上手くなれたと言える自信はないですが、強くなって帰れたと言える自信はあります。いままでも社会人の日本選手権や都市対抗野球、高校野球の最後の夏、その他全国大会などのしびれるような試合で、緊張する場面やどう対応しようかという場面がありましたが、もうこれからは日本語で対処できると思えば、それはたいした悩みではないなと。今回、国際大会を経験できて、まずは自分がジャッジしないことには何も動かせないという強さが身についたと思います。
本当に私にとってはターニングポイントになったと思っています。
――今後についてお聞かせください。
今回は貴重な経験をさせていただいたので、これだけでは終わってはいけないなと。野球が広がるために自分ができることがあれば何でもやっていきたいですね。審判をしている姿に対して、もし少しでも「あ、カッコイイじゃん」とか「おもしろいな」とか思ってもらえる人がいて、誰かが何かを感じてもらえると嬉しいです。
審判は「良いこと2割、つらいこと8割」。ちゃんとジャッジをして当たり前、悪いとお叱りを受けたりするものですが、一度審判というものを始めると自分のライフスタイルの中でこれがなくてはならないものになる。土日に審判をしてパワーをもらって、また平日も頑張って、もうやめられなくなる。試合を終えた時の達成感は何事にも変えられません。
例えば高いレベルの野球で選手生命が短かった人でも、審判という道があるということを知ってもらえると、人生がまた楽しくなると思います。一言で野球振興と言っても簡単ではないですが、私が私なりにできることを少しずつでもやっていきたいと思っています。
三浦 和幸プロフィール
三浦 和幸
1973年生まれ
全日本野球協会公認 国際野球審判員
秋田県野球協会審判部所属。28歳から審判を始める。社会人や大学・高校を始め幅広い試合を担当、各種全国大会にも派遣され活躍している。 2016年12月に行われた第9回 BFA U-12アジア選手権で国際試合デビューを果たす。