7月23日に開幕する東京オリンピックで3大会ぶりに実施される野球競技。これまで7大会に出場し、熱戦を繰り広げてきた野球日本代表の過去のオリンピックでの戦いを振り返る。第2回は、初めてプロ選手が参加し、アマチュア選手との混成チームで金メダル獲得を目指した2000年のシドニー大会の戦いぶりを紹介する。
※カッコ内の所属は当時
この大会からプロ選手の参加と木製バットの使用が認められるようになり、日本も他国同様にプロ選手が加わった。投手の松坂大輔(西武)、黒木知宏(ロッテ)、河野昌人(広島)、捕手の鈴木郁洋(中日)、内野手の松中信彦(ダイエー)、中村紀洋(近鉄)、田中幸雄(日本ハム)、外野手の田口壮(オリックス)のプロ8人と、阿部慎之助(中央大)、赤星憲広(JR東日本)らアマチュア16人(大学生5人、社会人11人)の24人で金メダルを目指し、指揮は大田垣耕造監督(東芝)が執った。
だが予選リーグから苦戦を強いられることになる。マイナーリーグの選手たちで構成し、ドジャースの名将として知られたトミー・ラソーダ監督が率いるアメリカ代表と初戦で対戦。日本は松坂、アメリカは翌年にMLBで11勝を挙げるベン・シーツの両先発による投げ合いになった試合は、7回に松坂が2点の先制を許すが、日本も8回と9回に1点ずつを奪い同点。しかし、最後は延長13回に杉内俊哉(三菱重工長崎)がサヨナラ2ラン本塁打を浴びて2対4で敗れた。第2戦のオランダ戦からは4連勝するするも、第6戦の韓国戦、第7戦のキューバ戦を落として4勝3敗の予選リーグ4位で決勝トーナメント進出となった。
準決勝は予選リーグ1位通過のキューバと対戦。黒木が先発したものの、後にMLBで78勝を挙げることになるホセ・コントレラスに打線が沈黙し0対3の完封負けを喫した。
3位決定戦は前年のアジア予選、オリンピック予選リーグと敗れていた韓国と対戦した。試合は松坂、後にオリックスでも活躍するク・デソンの投手戦となり、8回裏に松坂がイ・スンヨプに決勝タイムリーを浴びるなど3点を失うと、9回表の攻撃では1点こそ返すが後続が続かず1対3で敗戦。日本史上初めてオリンピックのメダル獲得を逃す結果となり、プロ・アマ問わず多くの選手が涙を流した。
決勝戦はシーツの完封勝利でアメリカが4対0でキューバを破って初の金メダル獲得を果たした。
全選手が揃ったのは、シドニー入りしてからというプロ・アマ混成チームならではの難しさがあったが、強い結束力を証言する選手もおり、3大会連続で出場しオリンピック記録となる通算5勝目を挙げた杉浦や、2本塁打を放った沖原佳典(NTT東日本)らアマチュア組の活躍も目立った。