ENEOS 侍ジャパンシリーズ2018「日本vsオーストラリア」が3月3日にナゴヤドーム、4日に京セラドーム大阪で開催される。「強化試合」とはいえ、2年後の東京五輪を見据えた上で、トップチーム・稲葉篤紀監督は重要な2試合と位置付けている。ここでは、過去の五輪、WBCにおける対オーストラリアとの激闘史を振り返っていく。第1回は2004年アテネ五輪の準決勝である。
日本はオリンピックにおいて、オーストラリアとの相性が良いとは言えなかった。1996年のアトランタ五輪。日本は予選リーグ7試合で唯一の黒星を喫し、オーストラリアは2勝5敗で予選敗退。プロ・アマ合同チームで臨んだ2000年シドニー五輪の予選リーグでは、地元の大声援を受ける中で勝利(7対3)。開催国・オーストラリアは2勝5敗の7位で予選敗退を喫している。
そして、迎えた2004年アテネ五輪は初めてオールプロで臨んだ。アジア予選突破へ導いた日本代表・長嶋茂雄監督は脳梗塞により、五輪での指揮を断念。中畑清ヘッド兼打撃コーチが代行監督を務めた。
日本は一次リーグを6勝1敗の1位で突破したものの、7試合で唯一負けた(4対9)のがオーストラリアだった。準決勝は一次リーグ1位対同4位(オーストラリア)、同2位(キューバ)対カナダ)の組み合わせである。
勝てば、銀メダル以上が確定。負ければ3位決定戦という大一番の先発を託されたのは日本のエース・松坂大輔(西武)だった。前回、2000年のシドニー五輪3位決定戦(対韓国)に先発も、8回3失点で敗戦投手。4年後にリベンジの機会が訪れたのだった。
キューバとの一次リーグでは9回途中3失点で、勝利投手。松坂はこの試合で、打球を右上腕部に受けた。準決勝でも痛みは残っていたものの、その影響を感じさせない力投を見せる。しかし、打線がエースを援護できない。オーストラリアの先発・クリス・オクスプリング(2006年に阪神在籍)に対し、5回まで4安打無得点とホームベースが遠い。
一方、松坂も我慢の投球を続ける。5回まで1安打10奪三振と、相手打線を圧倒。しかしながら、6回にまさかの展開が待っていた。二死一、三塁から外角スライダーを右前に運ばれ、痛恨の先制点を許してしまう。
「大事な試合で先制点を与えないように考えて投げた。結果的に点を取られて、チームに良い流れを持ってこられなかったのが一番悔しいです」(松坂)
1点を追う日本は7回裏二死一、三塁のチャンス。ここで、オーストラリアは、好投を続けてきた先発・オクスプリングから阪神のリリーバーでもあるクローザーのジェフ・ウィリアムスへスイッチ。打席は同僚の藤本敦士(阪神)だったが、三飛に仕留めている。
ウィリアムスは8、9回も打者6人に対してパーフェクトリリーフを見せる。9回裏二死、谷佳知(オリックス)は二ゴロを放ち、一塁ベースを駆け込む際に右足首をねんざ。0対1。日本は1点が遠かった。トレーナーに担がれて退場する谷。その痛々しい幕切れは、日本の敗退を意味していた。
中畑ヘッド兼打撃コーチは「長嶋監督の期待に応えることができなくて申し訳ない。この結果を見せなければならないのはすべて私の責任です」と肩を落とすと、主将としてチームをけん引した宮本慎也(ヤクルト)は「力負けです。言い訳はできません」と、現実を受け止めるしかなかった。
日本でリハビリを続ける長嶋監督は、長男・一茂氏を通じて、日本代表チームに、ファックスでメッセージを送っている。
「正直、とても悔しい。しかし、それ以上に諸君たちはもっと悔しいことでしょう。勝っておごらず、負けてくさらず。あしたの試合も今まで通り、全力で戦ってください。諸君たちのためのオリンピックだったと思うためには、有終の美を飾ることがとても大切です」
合言葉は「フォア・ザ・フラッグ」。センターポールに日の丸を掲げることはできなかったが翌日、カナダとの3位決定戦で勝利。長嶋監督が「伝道師」として選んだ24人のサムライは、オーストラリア戦での悔しさを引きずることなく、銅メダルを日本へ持ち帰った。
※文中の所属球団は当時
2004年アテネ五輪 準決勝
2004年8月24日(火)
HELLENICO1 試合:2時間43分 入場者:3,532人
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | H | E | |
オーストラリア | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 2 |
日本 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 |
バッテリー
[オ]○Oxspring、(S)J.Williams - Nilsson
[日]●松坂、岩瀬 - 城島