"世界の野球"南の楽園フィジーのHAPPYベースボール通信 第3回「フィジーに恩返し」
2016年6月23日
文・写真 白川将寛(JICA青年海外協力隊・フィジー野球ナショナルコーチ)
2010年8月。フィジーから日本に帰国する際に自分に誓ったこの想い。 フィジーに溢れていた人々の陽気さ・親切心・自由な生き方、そこに確かに存在していた南国で楽しく生きる幸せ。僕はいつか必ず、心ゆくまで幸せを感じさせてくれたこのフィジーに、恩返しするために帰ってくる。そう思いながら日本への飛行機に乗った。
今回は、フィジーの事と私の事について少し紹介したいと思います。
私は福岡教育大学4年生の2010年の2月から約7ヶ月間フィジーで語学留学していました。語学留学先にフィジーを選んだ理由は、私が高校生の時に見ていた恋愛バラエティ番組「あいのり」でフィジーが放送されて美しい海の映像を見たとき、これまでにない衝撃を受け、直感で「フィジーに行きたい!!」と思ったのがきっかけでした。それから時を経て、フィジーで英語を学べる語学学校があることを知り、大学4年の後期から1年間休学をしてフィジーへ留学しました。
常夏の大自然の中で生まれ育ったフィジーの人々と過ごす中で、人間は思っている以上に自由だということ、細かいことなんて気にしなくていいこと、もっと人に頼ってもいいこと等を日々の生活の中で教えられたような気がします。
私が特に感動したのは、彼らのおもてなしの精神。道を歩いていると「ラコマイ!ラコマイ!(こっち、おいで!の意味)」と呼ばれ、「カナ、カナ。(食べよう)」と食事を提供してくれます。しかも自分たちの分より多い量を提供してくれます。「今日はもう暗いから泊まっていけばー?」と初対面の日本人なのに快く泊めてくれます。夜はココナッツオイルを使って脚のマッサージもしてくれます。翌日お礼を言って出かけようとすると、「のんびりいこうよ。もう一泊していっていいよ。あなたはもう私たちの家族なんだから。」「日本に帰ってもいつでもうちに帰ってきていいからね。」と真剣に言ってくれます。この心の壁の無さにとても感動した私はフィジーのことが大好きになり、愛するようになりました。
日本に帰国してからも「フィジーに恩返ししたい」その想いはずっとありました。大学を卒業し、教員になり、高校教師3年目、野球部のコーチもさせて頂き、毎日充実していた2013年の秋。JICA青年海外協力隊の秋募集で「国:フィジー、職種:野球」の募集を目にしました。「これや!!今や!!」と、心が躍りました。
「フィジーに恩返しできるチャンスが舞い降りてきた!しかも大好きな野球で!!」
奇跡だと思いました。
今思えば、自分が好きなこと(教員・野球部の顧問)ばかりしていたので、「奇跡」は気軽に自分の目の前にひょいっと訪れてくれたんだと思います。私には嫌いなことまで頑張れる器がなく、やりたくないことはやれないタイプなので、もしやりたくないことまでやっていたら、きっと「奇跡」側は遠慮して、余裕のない私のところには来なかったと思います。好きなことをやり続けると、好きなことで奇跡が舞い込んでくるんだなと思いました。
その頃、野球部のミーティングで監督さんが部員に言い続けていた言葉がありました。それは「チャンスの女神に後ろ髪はない」。チャンスを逃すなよという意味です。監督さんや先生方、野球部の生徒たちと離れるのは寂しいけれど、フィジーに恩返しに行けるのは今だけかもしれない。チャンスをものにするコーチで在りたい。
応募用紙の志望動機には「フィジーに恩返しがしたい。」と正直に書きました。実技試験を経て、協力隊候補生になることができ、長野県の駒ケ根市で同期の野球隊員はもちろん様々な職種の候補生と出逢い、かけがえのない70日間の派遣前訓練を過ごしました。その派遣前訓練中に、「野球」とは「楽しく人と繋がる」最高の遊びであると気づけましたし、「駒ケ根」での熱い70日間は「俺たちの原点だ」と自信をもって言えます。訓練終了時、思わず筆をとり、ノートに記しました。趣味は書道アートです。
留学当時に出逢った人たちに直接恩返しできるわけじゃない。だけど、この大好きな野球を通してフィジーで新しい価値を生み出し、目の前にいる子どもたちや出逢う人々と幸せな日々を過ごしていくことが、自分ができる恩返しだと思う。そんな隊員生活の中で、「フィジーへの愛」と「野球への愛」を自由に表現することが自分にとって最も気持ち良く、生きている実感が湧いてくる。この生きている実感が自分の魂を喜ばせてくれる。隊員生活の2年間にはその喜びに満たされる瞬間が何度もあります。そして、今日も僕は生きている、自分の魂が愛する国で生かされている、その有り難さを強く感じさせてくれます。胸を張ってそう言えます。もし今、協力隊に応募しようか迷っている方がいたら、私はその方を応援したいですし、協力隊になりたいと一瞬でも思ったその衝動を大切にしてほしいなと思います。
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著者プロフィール
大嶋賢人
1994年8月8日生
都内の教育大学を卒業後2017年8月よりFiji Baseball & Softball Associationに青年海外協力隊の野球隊員として配属。ナショナルチームの指導や巡回型普及活動を行っている。「年間300日雨が降る」と言われる首都スバ市で”NO SWING-NO HIT!”をモットーに現地の子どもと白球を追っている。好きな言葉は「出来なくて当たり前、出来たら男前」。
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