文・写真=白川将寛(元JICA青年海外協力隊・フィジー野球ナショナルコーチ)
2016年9月29日。成田空港に降り立ったとき、夢だった青年海外協力隊野球隊員としての2年間の任期が終わりました。現在は実家がある宮崎にいます。
帰国後は、フィジーでの日々を思い出すとなんだか心が落ち着かなくて、自分は本当に2年間もあの場所にいたのか不思議な気持ちになります。夢だった時間が終わったけれど、まだ夢の続きを追いかけているような、幻想的な感じ。うまく言葉にできないけれど、記しておきたい今の気持ちとフィジー野球の軌跡。
ナショナルチーム
フィジーの野球代表チーム(=ナショナルチーム)の指導も活動のひとつでした。代表チームといっても4年に一度のパシフィックゲーム(南太平洋の島々によるオリンピックのような国際大会)の参加を目指して、野球好きな大人が大会半年前くらいからぼちぼち数人集まる程度のチーム。「ほんとにフィジーに野球の代表チームなんてあるの?」と半信半疑で赴任したのですが、本当にチームは存在して、任期中にパシフィックゲーム(2015年7月・会場パプアニューギニア)が開催されることになったので、その大会の約半年前から本格的にナショナルチームの指導に携わることができました。
といっても、家族の行事が優先だったり、仕事で来れなかったり、しかも野球部門はなくソフトボール部門の開催しかないので、全選手初めてのソフトボールへの挑戦となり、毎日悩みはつきませんでした。
「みんながそろわない理由は自分の指導法が選手達にマッチしていないからだろうか」「伝えたいことがあるけど英語やフィジー語でどう伝えればいいんだろう」「大会に参加するための資金はどうやって集めよう」
練習に来れば、陽気に練習をする選手達。大会が近づくにつれ、ようやく練習参加人数が増えチームとして活気を帯びてきました。その姿を見ながらイノケさんと、どうすれば「代表チーム」らしくなるのか、どうすれば強くなるのか、そもそもパシフィックゲームにちゃんと参加できるのか毎日のように悩み、話し合いをしていたことを思い出します。
国内大会を企画・開催したり、JICA関係者の方々に協力してもらったり、広報活動したり、渡航費のためのスポンサー探しで色んな企業に頭下げに行ったり。日々の練習メニューをイノケさんと考えること以上に、『代表チームを運営すること』ってこんなにも大変なんだって身をもって知りました。
だけど、なんでだろう。選手達との日々の練習を思い出すとき、めちゃくちゃ大変な日々だったのに「苦しい」よりも「楽しい」感情が沸いてくるんです。なんだか、愛おしくなるんです。
ネガティブに考えてしまう日もあった、だけど、振り返るとポジティブな感情が沸いて、また彼らに会いたくなるんです。それが不思議でしょうがないんです。帰国して気づいた確かなこと、それは、僕が一緒にすごしていた選手達は、これからも関わり続けたい不思議な魅力をもつ愛おしい選手達だったということ。
結局パシフィックゲームには、参加表明していた他国が参加辞退したことでソフトボールの開催自体がなくなったとフィジーオリンピック委員会から通告され参加はできませんでした。非常に悔しかったですし、参加費の一部を支払っていたイノケさんも悲しんでいました。
だけど、間違いなく、ナショナルチームはソフトボール挑戦という新たな1ページをフィジー野球の歴史に刻みました。経験値が高まったこと、短期間でも国の代表を意識して練習したことは誇りに思っていいはずです。
通告後の選手達とのミーティングで、ベテラン選手の一部から「この経験を若い世代に繋げよう。イノケにも協力していこう。」という声があがり、このミーティングを境にイノケさんが5年前から指導している小学生・中学生世代もナショナルチームの練習に参加させることになり、現在はイノケさんに育てられた若い世代がナショナルチームの中心として活動しています。小学生の野球大会やクラブチーム選手権大会では、以前はイノケさんと僕だけで開催・運営していましたが、今ではナショナルチームのベテラン選手が審判やスコアラーとして積極的に協力してくれるようになりました。『フィジー人によるフィジー人のための野球』のスタイルが少しずつ出来上がってきています。
これからフィジー野球はどんな方向に進むのだろう。一つだけ方向性の軸を挙げるならば、それは、『HAPPY』をみんなで共有しあうベースボールであること、だと思います。選手達はすでにこの方向性は無意識的に理解していると僕は思います。2年間フィジーで生きて、フィジーの人々の助け合いの精神に驚かされました。幸せに生きる術をたくさん知っていました。人生、楽しんだもん勝ち!そう全身全霊で表現していました。
ベースボールを通してHAPPYな感情を仲間と共有できることを彼らはもう知っています。だからこそ、ナショナルチームや子どもたちに、充実した練習場所や公式戦のチャンスを与えてあげたい。これからもフィジー野球を全力で応援し協力していきたいと思います。
- 【第7回】2019年12月11日 「次の世代へ繋ぐバトン」
- 【第6回】2019年7月31日 「U12W杯~オープニングラウンドを終えて~」
- 【第5回】2019年7月25日 「U12フィジー野球代表 世界大会へ出発」
- 【第4回】2019年6月27日 「遂に開始 クラウドファンディング」
- 【第3回】2019年3月25日 「Fiji野球 世界へ挑戦!?」
- 【第2回】2019年1月28日 「ナショナルチームの活動」
- 【第1回】2018年12月7日 「フィジー野球の現状」
- 【第8回】2017年1月23日 「フィジー野球の2年間を振り返って(後編)」
- 【第7回】2016年11月28日 「フィジー野球の2年間を振り返って(前編)」
- 【第6回】2016年9月6日 「第25回世界少年野球大会千葉大会~当日編~」
- 【第5回】2016年8月8日 「第25回世界少年野球大会千葉大会~準備編~」
- 【第4回】2016年7月22日 「コミュニティ地区での野球」
- 【第3回】2016年6月23日 「フィジーに恩返し」
- 【第2回】2016年5月25日 「道具にリスペクトを」
- 【第1回】2016年5月15日 「キャッチボール」
著者プロフィール
大嶋賢人
1994年8月8日生
都内の教育大学を卒業後2017年8月よりFiji Baseball & Softball Associationに青年海外協力隊の野球隊員として配属。ナショナルチームの指導や巡回型普及活動を行っている。「年間300日雨が降る」と言われる首都スバ市で”NO SWING-NO HIT!”をモットーに現地の子どもと白球を追っている。好きな言葉は「出来なくて当たり前、出来たら男前」。
- 世界の野球 可能性を秘めたコロンビア野球
- 世界の野球 力戦奮闘ブラジル野球!~日系移民が紡いできた夢~
- 世界の野球 東欧ブルガリア -野球事情とその展望-
- 世界の野球 ヒマラヤを北に臨む国 ネパールの野球
- 世界の野球 清水直行 ニュージーランド野球の世界挑戦記
- 世界の野球 アジア選手権 日本人監督の挑戦 インドネシア編
- 世界の野球 アジア選手権 日本人監督の挑戦 パキスタン編
- 世界の野球 アジア選手権 日本人監督の挑戦 番外編 タイ野球の歩み
- 世界の野球 日本人指導者の挑戦 香港野球編
- 世界の野球 フランス通信~フランス野球・ソフトボール連盟より~
- 世界の野球 南の楽園フィジーのHAPPYベースボール通信
- 世界の野球 "アフリカからの挑戦・赤土の青春" ウガンダベースボール
- 世界の野球 パラオ共和国 よみがえれ南洋の「ヤキュウ」魂
- 世界の野球 アフリカ球児の熱い青春!タンザニア野球“KOSHIEN”への道"
- 世界の野球 受け継がれるSri Lanka野球の物語~光り輝くスリランカ野球の夢~
- 世界の野球 セルビア野球の挑戦と葛藤 バルカン・ベースボール事情あれこれ
- 世界の野球 ケニア野球、一歩一歩 元独立リーガー日本人青年監督の奮闘!
- 世界の野球 欧州の野球事情
新着記事
ジャパン 関連記事
世界の野球 関連記事
"世界の野球"ヒマラヤを北に望む国 ネパールの野球「カラダを動かす楽しさを伝えよう!」2024年11月25日 |
"世界の野球"ヒマラヤを北に望む国 ネパールの野球「ネパール野球25周年日本ネパールスポーツ交流プログラム2024-2025」2024年9月2日 |
"世界の野球"ヒマラヤを北に望む国 ネパールの野球「学校スポーツ連盟との協定」2024年4月12日 |
"世界の野球"ヒマラヤを北に望む国 ネパールの野球「1st National Baseball5 Championship 2024」2024年1月15日 |
"世界の野球"ヒマラヤを北に望む国 ネパールの野球「目指せ!体験から広がる笑顔の輪」2023年11月28日 |