文・写真=白川将寛(JICA青年海外協力隊・フィジー野球ナショナルコーチ)
「今日もみんな元気かな。」
夕方、イノケさんの車に野球道具を積んで、野球の子どもたちがいるライワイ地区またはナンドヌマイ地区に向かう。この野球道具はJICAの『世界の笑顔のためにプログラム』で日本から寄贈して頂いたものも含まれている。
「今日も元気そうだね。」
到着し、イノケさんとそんな会話をしながら野球道具を降ろしていると、何人か子どもたちがやって来て道具運びを手伝ってくれる。一生懸命重い道具を運ぶこの姿は何度見ても大好きだ。
5年前、イノケさんが2つの地区の子どもたちを対象に野球の普及活動を始めた。その目的は、野球の普及はもちろん、夕方遊んでばかり喧嘩ばかりしている地区の子どもたちのライフスタイルや振る舞いを、野球というチームスポーツを通して子どもたち自身で見つめ直してほしいという狙いもあったという。また、ライワイ地区はイノケさんの親戚が、ナンドヌマイ地区はナショナルチームの選手たちが住んでいることもあり、地域に住んでいる方たちのサポートを受けながら、週に2,3日程度のペースで活動を行ってきた。
子どもたちにとっては見たことも聞いたこともない「Baseball」というスポーツ。何もかも試行錯誤の中で始めた新スポーツの普及。しかし、イノケさんの“野球の魅力を伝えたい”真摯な姿勢と地道な努力が実を結び、私が赴任した2年前にはこの2つのコミュニティ地区がクラブチーム化しており、クラブチーム対抗の試合を開催出来たり、野球が好きでルールも理解している子どもたちといきなり関われる喜びがあった。
ここでイノケさんについて紹介させてもらうと、イノケさんは生粋のフィジー人。フィジー野球ソフトボール協会の野球普及員であり、フィジー野球の全てを彼が担っている。またナショナルチームの中心選手として2003年、2007年、2011年のパシフィックゲーム(南太平洋の島国によるオリンピックのような大会)の野球競技に出場している。過去には、オセアニア野球連盟が主催の野球アカデミーや日本の大学野球部の練習に参加した経験も持つ。
そんな彼と2014年10月から二人三脚でコミュニティ地区活動を共にしている。地区に到着して、すぐ野球を始めるのではなく、学校から帰ってくる子どもたちをひたすら待ったり、ビー玉遊びやタイヤ遊びをしている子どもたちをしばらく見守り、「そろそろ始めよっかー」と子どもたちのタイミングを伺って始める。この、フィジー独特なのんびり感がたまらない。面白い。異文化だなあと思う。
最初に整列して座らせて気持ちを落ち着かせて練習を始める。その日来た子どもたちの雰囲気や技術レベルを考慮してイノケさんと相談しながら練習メニューを決めて実践していく。どんな練習も「遊び」のように実践していくフィジーの子どもたち。基礎は全くできないけど、ジャンピングスローとかバックトスをいきなりやる。日本では「ファインプレー」と呼ばれるプレーを楽しそうにやるその姿。その明るさはどこから来るの?こんなに野球って面白かったっけ??と驚かされ学ばせてもらう毎日。日本から、コーチの立場で彼らに野球の魅力を伝えに来たはずだった。でも、野球の文化がまだまだ根付いてないこの国から野球の魅力を新たな角度から教えてもらう。この相互関係、なんだか不思議。
イノケさんの話によると、ナンドヌマイ地区は荒れた地区で夕方徘徊している子どもたちは喧嘩やタバコなど、乱れた生活を送っていたという。しかし、週3回の野球クリニックで子どもたちを集め野球に集中させることで少しずつライフスタイルや振る舞いが改善されていったという。私が赴任した頃はその荒れた様子は全く見られなかった。むしろ、野球を仲間とともに楽しみ、イノケさんが話すことに真剣に耳を傾け、思う存分白球で遊んでいる姿に感動を覚えたくらいだ。
ライワイ地区のある子どもの保護者には「息子にラグビーと野球どっちが好きかって聞いたら野球!って答えるよ。もっと練習に来てちょうだい。」と嬉しい言葉を頂いたこともあった。また練習後にはたくさんの子どもに「次はいつ来るの??」と聞かれる。「あさってよ。」と答えると「明日来てよ!」と毎回言われる。それを聞くたび、涙が出そうになる。
私がフィジーに恩返ししたいと想い続けていた社会人1年目の頃、イノケさんと出逢い、野球に出逢い、自分たちのライフスタイルや振る舞いを見つめ直し始めていた子どもたち。そんな素敵なストーリーがフィジーで起こっていたなんて当時は全く知らなかった。そして、今そのストーリーに関わらせてもらえている幸せを感じる。
現在、コミュニティ地区は2地区から4地区に増え、定期的にイノケさんと私で巡回している。この2年間の取り組みで野球に興味を持ってくれた子どもたちが増え、もはや2人では手に負えないくらいの多くの子どもたちが来ることもあり、大変だけど嬉しい。この状態が継続していってほしいと思う。そして、私が日本に帰国した後も、イノケさんとともに子どもたちが自分自身の在り方、そして人生のストーリーを自ら考え抜き、野球を通してさらにHAPPYな感情に溢れていてほしいなと思う。
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- 【第2回】2019年1月28日 「ナショナルチームの活動」
- 【第1回】2018年12月7日 「フィジー野球の現状」
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- 【第4回】2016年7月22日 「コミュニティ地区での野球」
- 【第3回】2016年6月23日 「フィジーに恩返し」
- 【第2回】2016年5月25日 「道具にリスペクトを」
- 【第1回】2016年5月15日 「キャッチボール」
著者プロフィール
大嶋賢人
1994年8月8日生
都内の教育大学を卒業後2017年8月よりFiji Baseball & Softball Associationに青年海外協力隊の野球隊員として配属。ナショナルチームの指導や巡回型普及活動を行っている。「年間300日雨が降る」と言われる首都スバ市で”NO SWING-NO HIT!”をモットーに現地の子どもと白球を追っている。好きな言葉は「出来なくて当たり前、出来たら男前」。
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