文・写真=長谷一宏(JICA青年海外協力隊・ウガンダ野球ナショナルコーチ)
こんにちは。これまでは現在の活動である野球の「普及」と「強化」、「マネジメント」、そしてカトーとオメリの派遣についてお話ししてきました。現在のことばかりについてお話ししてきたので、今回は少しウガンダ野球の過去の話をしたいと思います。
さて、上のグラフは何を表していると思いますか?
実はこれは現地の人々が感じるウガンダ野球の発展の印象をグラフ化したものです。横軸が西暦、縦軸が発展度合いを表しています。このグラフは私が野球関係者へのインタビューを通じ複数の関係者で作成したものです。驚くことに数多くの関係者が共感をしていました。ウガンダ野球の強さ、発展のピークは2002年頃に合ったというのは驚きです。2002年、日本がサッカーの日韓ワールドカップで盛り上がっていた頃、遠くアフリカのウガンダで野球が盛り上がっていたことを誰が想像できたでしょう。
今回はこのグラフを参考にしながらウガンダ野球の歴史をたどっていきたいと思います。
第一期(創世期)1989~1997
1989年、UPI(Unlimited Potential Inc.)というアメリカ人によるキリスト教布教団体が野球を紹介したことがウガンダ野球の始まりです。UPIの目的は野球の普及を通じて、他者を尊重することなどキリスト教精神を見につけさせることが目的であり「Baseball for God (神のための野球)」が合言葉でした。小学校を中心にUPIによる野球の普及プログラムが展開されました。年々対象地域は拡大していき、首都カンパラを中心に西はムバララ(首都から290km)、東はジンジャ(首都90km)までの圏内で活動が展開されていきました。
第二期(発展期)1997~2006
UPIによる支援は継続的に行われていました。UPIによる支援方法を技術、資金、用具の3つの項目に分類するとUPIによる支援は技術×、資金×、用具〇といったものでした。交通費等の金銭的な支援は行わないことが明確化されており、この頃になると技術指導に関しては年に3回ほど短期滞在でスタッフが来ウし指導を行うだけでした。従って資金や技術の提供に関しては十分とはいえない環境でした。しかし用具は要望があればその分惜しみなく提供するといった方針でした。「選手がこの学校で野球を紹介したいからグローブが9つ欲しい、と言うともらえた」そうです。
UPIにより最初に野球が紹介されてから約10年が経過し、この頃になると選手、スタッフ達にも十分にその方針が浸透していたため選手達は技術、資金をUPIに期待することはもはやなく、自ら技術を教え合い、小遣いを貯め試合のための交通費を捻出することで野球を発展させていきました。そして2003年にはオールアフリカ大会に出場します。
第三期(衰退期)2006~2010
2003年のオールアフリカ大会への参加はウガンダ野球にとって一大イベントでした。参加した選手達は南アフリカや、西アフリカの強豪国を見て、それまで上手いと思っていた自分達の力のなさを痛感しました。それを機にもっとうまくなって国際大会での活躍や海外でのプレーを夢見る選手も出てきました。しかし、これまでウガンダ野球を支援してきたUPIはキリスト教精神の布教が目的であったため、未経験者、初心者に対する野球の普及には熱心でしたが、アフリカ大会に出場したような上級者をさらに上手くすることや、国際大会への参加、海外でのプレーといったことには一切関心を示しませんでした。
「当時アフリカ大会に参加した選手達は皆、もっとうまくなりたいと思った。でもUPIによる『Baseball for God』では無理だと悟った。以降3年の間に上手い選手達が次々に辞めていった(関係者)」
皮肉なことにUPIの支援により野球を始め、夢を抱いた野球選手達はUPIによる支援に限界を感じ野球から離れていきました。そして2006年、UPIのスタッフの一人としてこれまでウガンダ支援に力を入れていた人物が急死、それを機にUPIによるウガンダ野球支援は終了します。
UPIによる支援が停止するとまず野球協会が解体しました。当時の会長がUPIの撤退を機に自身も野球から離れることを決めたからです。野球を続けようとした選手達もいたもののUPIによる用具の供給が止まったことで競技から離れていく選手達が続出しました。
第四期(復興期)2011~現在
2011年、衰退期の間にも情熱的に野球を続けようとしたスタッフ達の尽力により、ウガンダ野球協会が新たに組織されました。同時期にウガンダのリトルリーグチームがワールドシリーズ出場を決め、それを機にカナダやアメリカが関心を強めたことで野球が少しずつ活気を取り戻し始めました。
日本による青年海外協力隊の派遣は衰退期であった2004年に始まりました。野球環境が整わない中で当時の隊員の方々が尽力し、将来ウガンダ野球を背負うリーダーを作ろうとしたことは2011年以降の復興に繋がりました。2014年には外務省の支援による東アフリカ初の野球場建設、日本の独立リーグへの選手派遣が行われました。その影にも隊員の方の尽力がありました。
こうしてUPIの撤退と野球協会の崩壊により一度衰退したウガンダ野球は、今度は日本のサポートを受けながらなんとかもちなおし、もう一度成長をしていこうというところにあります。
さて、皆さんはこのストーリーを聞き、何を感じますか。
支援のビジョンという大きな点では日本による支援がUPIの二の舞にならないようにしなければなりません。支援というものにはいつか終わりが来ます。日本による支援が終わった際に、またウガンダ野球が衰退するようでは同じ過ちを繰り返しているにすぎません。そのために「自立的な発展」というキーワードを常に持っています。
また、具体的な支援方法という小さな点ではどうでしょうか。どのようにウガンダ野球を日本がサポートしていくかということです。UPIがお金と技術指導を提供せず、用具供給に力を入れた支援方法で野球が発展した過去があったということは興味深い事実でした。現在の日本による支援はUPIと比較をするとお金×技術〇用具×といったものになるかと思います。
私の任期期間中に「野球が発展したな」と実感する部分があった反面、発展とともに競技人口が増え用具の不足が顕著になり、それを機に野球から離れる選手も見られました。また、用具がないので野球協会としても普及活動に力を入れることができないという現状もあります。そんな中、UPIの事例を鑑みるともっと用具の供給に力を入れなくてはならないのかなという印象も持ちました。
「日本にはまだまだ使われないボール、グローブ等がありそれらを組織的に集め、ウガンダにもっと多く供給しなくてはいけないのかもしれない。そして同時に現地生産を行う努力もしなくてはならない。もちろん寄付依存体質を生むことは極力避けながら」と強く感じました。
また、他国と共同してプログラムを検討する必要性も強く感じました。現在ウガンダには日本のほかに、アメリカやカナダがそれぞれのやり方で野球をサポートしようという動きが少しずつ見られます。例えば日本が「道具の大量の寄付は援助依存体質を生むかもしれない」といって供給を控えてもカナダはそう考えずそれを実行すれば日本側の思慮も無駄になってしまいます。
現在の選手達は将来、チームの運営に携わることになるでしょう。その際、日本から指導を受けた選手達とアメリカから指導受けた選手達の間に軋轢や混乱を生む可能性があります。なぜなら、投げ方、捕り方、打ち方で「基礎」とされていることが日本とアメリカでまったく異なっているという事実があったり、日本は技術のみならずマナーも重視する傾向にありますが、そういう部分をアメリカ側が理解できないということがあったりするからです。
このような事態を避けるためにはもっと支援者間で支援方法を議論する必要があるでしょう。もちろん、支援者同士の意見の一致は無理という前提に立ち、各々の考えをウガンダ側に伝え、どのやり方を選択するかはウガンダ側に任せる、ということもできます。いずれにせよ、関係者間での意見交換をする機会の重要性を感じています。
さて、今回はウガンダ野球の歴史とそこから考える支援方法というお話でした。長々とありがとうございます。次回は恥ずかしいですが、私個人の話となります。今に至るきっかけ、活動の中で生じる喜びや困難についてなどを書ければと思います。お楽しみに。
メジャーリーグトライアウト報告
前回の記事では初の「アフリカ野球会議」がメジャーリーグ機構主催のもとウガンダで行われたことをお伝えしました。同時期に南アフリカにアフリカで有望とされている選手が招待され、トライアウト兼技術指導のチャンスが与えられました。アフリカ各国からは2、3人の選手が、ホスト国である南アフリカからは15人の選手が招待される中、今回ウガンダからは参加国最多となる17人の選手が招待されました。4人の選手が高評価を受け、アメリカのカレッジベースボールリーグへの参加に結びつく可能性がでてきました。
また、選手の技術だけでなく、指導者が多いこと、国内でリーグ戦が行われていることが評価され「継続的に関心を持ちたい」というアメリカ側の発言はウガンダ野球協会にとっても大きな希望になったようです。
- 【第10回】2017年5月26日 「ウガンダからのメッセージ」
- 【第9回】2017年2月22日 「ウガンダ野球の未来vol.1 日本からのサポートをどう行うか」
- 【第8回】2017年1月26日 「私の背景」
- 【第7回】2017年1月17日 「ウガンダ野球の歴史」
- 【第6回】2016年12月27日 「マネジメント システム作り」
- 【第5回】2016年12月1日 「ウガンダ人選手が見た日本 vol.2」
- 【第4回】2016年11月4日 「ウガンダ人選手が見た日本」
- 【第3回】2016年9月29日 「強化活動について~いつかは大敗を~」
- 【第2回】2016年9月8日 「野球の普及と強制」
- 【第1回】2016年8月3日 「ウガンダ野球の今」
著者プロフィール
- 長谷 一宏
- 1987年10月6日生
2014年10月より青年海外協力隊員としてウガンダ野球協会へ、選手の指導及び指導者育成のためナショナルコーチとして派遣されている。「ウガンダ野球の自立的・持続的な発展」を目標とし、各チームへの技術指導に加え、リーグ戦の運営、学校への普及などを行っている。
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