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"世界の野球"パラオ共和国 よみがえれ南洋の「ヤキュウ」魂「ヤキュウの歴史」

2016年12月26日

文・写真=大庭良介(JICA青年海外協力隊)

 みなさんこんにちは。2回目コラムではパラオ野球の歴史についてお伝えしたいと思います。
 前回のコラムでも少しだけ紹介しましたが、日本とパラオにはとても深い歴史的関係があります。それもそのはずで、パラオには昔日本が委任統治していた歴史があるのです。その委任統治時代にコウノ・モトジという日本人の男性がパラオに野球を伝えました。今から90年以上前の1920年代のことです。パラオ野球には、日本人との関わりという背景があるのです。そして時を越えてまたパラオ野球に日本人である私が携わることができていること事を感慨深く感じます。90年も前に日本人が野球をパラオに伝え、こうして今、私が青年海外協力隊員として野球普及活動を行う。パラオ野球が100年の歴史を迎えようとしている中、「日本人」として、改めて野球の素晴らしさを伝えるための使命を背負っているかのようです。

 パラオの現地語であるパラオ語には委任統治時代の影響もあり、たくさんの日本語が混じります。日常会話を聞いていると所々日本の単語が出てきて、なんとなく会話の内容がわかることもたくさんあります。ダイジョウブ、ベンジョ、ゾウリ、デンキ、デンワ、シャシン他にもたくさんの日本語が存在します。時には名前だけ見ればまるで日本人かと思われる生粋のパラオ人もたくさんいます。
 その中で驚くべきは野球も“ヤキュウ“と呼ばれていることです。日本語の野球とは発音が少し違いますがヤキュウとして認知されています。その他にも守備の事を”マモル“ 犠打の事を”コチン“といいます。犠打がコチンと呼ばれていることには最初本当に驚きましたが・・・昔の写真を見るとスコアボードには漢数字でイニングが書いてあるほどです。パラオ野球史の本によると、野球が伝わってから最初の試合は日本人チーム対パラオ人チームで、1927年には試合が行われていたそうです。そのような背景もあり、今もヤキュウはパラオで人気のスポーツとなっています。こうして日本人の活躍により野球がヤキュウとして伝来し、普及していきました。今でも日本人野球チームがパラオにありますし、日本から高校生や大学生が研修等でパラオを訪れる際には、ソフトボールによる文化交流も行われたりしています。

 ところが、今現在もヤキュウは盛んであることは確かなのですが、昔からのパラオ野球を知る御高齢の方に話を聞くと今の野球は廃れてきていると話します。それも一人ではなく、何人ものパラオ人が口をそろえます。あるパラオ人男性は、「俺は食う時と寝る時とトイレする以外は野球をしていた」と話します。そのくらい好きで人気であったかつての野球人気は影を潜め、今現在のヤキュウは廃れてきている。多くの人たちがそう口をそろえる理由は何なのか。確かに、街を見渡すとバスケットボールをしている人が実は多く、せっかくのアサヒ球場も練習をするにはしていますが、スタンドは学生たちの溜まり場となり、ゴミだらけの状況です。

 何故一番人気であった野球が長年の時を経て廃れていってしまったのか。次回のコラムではヤキュウがかつての輝きを失ってしまった要因について、私が考えている点について紹介していきたいと思います。
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

著者プロフィール
大庭 良介
1992年9月21日生
湘南工科大学附属高校-日本体育大学
2015年7月よりパラオオリンピック協会・パラオ野球連盟に青年海外協力隊 野球隊員として配属。委任統治していた時代に日本人が伝えたヤキュウの再復興、ヤキュウを通じた人間力の向上を目指し、多くの事を現地人、環境から学び経験している。

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