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"世界の野球"インドネシア野球「子供たちに未来を!2017野球キャラバン」

2017年6月29日

文・写真=野中寿人

 昨年度より、日本の株式会社フュービック様と共同で開始をした「Fu×Bic野球キャラバン」。昨年はジャカルタ、スラバヤ、バンドゥンとジャワ島の主要都市、また、古くからソフトボールが盛んに行われてきた3都市て開催を致しましたが、今年度は地方州と位置づけされ、以前より野球全般に関する情報が閉ざされてきた地域での野球キャラバンを開催していきます。

 今年度最初の野球キャラバン開催は、地方州であるスマトラ島のパレンバンになります。このパレンバンは南スマトラ州の州都になり、地図でいうと、スマトラ島の南下部分に位置をし、スマトラ島の内海にも近い為、非常に暑い気候の地域となります。
 歴史的な日本との関わりは、ご年配の読書の方々はご存知かと思いますが、大東亜戦争時の日本軍蘭印作戦での空の神兵と呼ばれるパレンバン油田の占領が挙げられます。

 今回の野球キャラバンで訪問をした公立第1中学校は、オランダ植民地時代から日本統括と同時に学校として使用されだした校舎であったり、校庭の地下には、当時使用をしていた防空壕があったりと、特別な思いを感じながら指導をしました。

 さて、野球キャラバンについて記させて頂きます。まず初日の野球キャラバンは、我々の野球キャラバン開催と同時期にインドネシアアマチュア野球&ソフトボール連盟主要の男子ソフトボール国内クラブチーム大会が開催をされていた背景から、男子ソフトボールのインドネシア代表ナショナルチームの選手へのストレッチ講習を行いました。また、この大会には野球のインドネシア代表ナショナルチームの主力選手数名が請け負いで参戦をしていたことから、男子ソフトボールインドネシア代表ナショナルチームの選手たちに混ざってストレッチ講習を受講。
 このストレッチ講習で感じたことは、的確なストレッチが浸透していないという事実でした。ウォーミングアップ等で一応はストレッチを導入していますが、やはり形だけで終わってしまっており、男子ソフトボールのインドネシア代表ナショナルチームの選手たちは改善点を節に感じたことでしょう。また、特に男子ソフトボールインドネシア代表ナショナルチームの選手たちの年齢は35歳から上の範囲となり、地方州代表ソフトボールチームやクラブチームの監督や指導をしていることからも、非常に意味の深いストレッチ講習であったと判断をしています。

 初日の午後はグランドに来ていた子供たちと、グランド周辺施設や空き地に来ていた子供たちに声をかけて、即興の突撃キャラバンを開催。特にサッカーをしている子供たちが野球に興味を示し講習を受けていたことが印象的です。インドネシアでは野球よりもサッカーの方がポピュラーなスポーツですが、現状サッカー少年たちがサッカーから野球に移行している傾向が多いのが実情です。
 この理由としては、サッカーで州の代表チームに選ばれる倍率が高く、まして国の代表チームであるナショナルチームへ選出されることは、非常に可能性が低い為です。野球ならばサッカーよりも簡単に州の代表チーム入りが可能となり、国内上位の州であれば国体の強化練習では給与を受け、海外遠征にまで行けるというインドネシアドリームがあるからです。実際に身体能力の高い子供も多く、今回の突撃キャラバン時に、キャラバン隊員とのダッシュでも、サッカー少年に軍配が上がりました。

 学校訪問は冒頭に挙げました国立第1中学校、そして国立スリィジャヤ高校の2つの学校にて野球キャラバンを開催。国立第1中学校はプレゼンテーションを兼ねての開催となり今後の野球部活動に期待が持てます。また、立スリィジャヤ高校では学校側の意図により、全校生徒の授業を取りやめ、中庭の校庭に約300人が見学するという状況の中で、野球キャラバンを開催したのでした。野球部はまだ発足して数ヶ月のレベルですが、その中で身体バランスが良く、投球動作上の肘の使い方が非常に良い左利きの高校1年生の選手を発見。
 人口の多いインドネシアには、やはり原石は居ます。残念なのは高校からでなく、せめて小学校の高学年から野球に出会っていたらと痛感をし、同時に、国内での野球の裾野の確立が必要だと深く考えさせられました。そして、キャラバン隊員の方々が日本より持参をした野球用具を学校側に寄付をさせて頂きました。

 パレンバンでの目玉となった、最終日の突入キャラバンは、パレンバンの名所であるジュンバタン アンペラ橋のたもとにある公共の広場にて、子供たちに声をかけて開催をしました。ギターを弾き歌を歌い生活費を稼ぐ子供たちも、ギターをバットに変えて野球を楽しみ、野球キャラバンの途中、子供たちが野球を夢中になって行う姿に、観光でパレンバンに来ていたインドネシア人の大人2名が飛び入り参加するハプニングもあり、初日と最終日の2回の突撃キャラバンには約50名以上が参加をし、パレンバンでの野球キャラバン参加総人数は4日間で約280名強でした。
 インドネシアでは、広場や道端、あらゆる場所で、ギターを片手に歌を歌い、お駄賃を得て生活をしている子供たちが大勢います。経済的にも学校にも行けず、将来、大人になっても満足な就職にも就けないという現実があります。必死になって生きる術を模索して毎日を送っています。そんな現状を、日々、逞しく生きている子供たちは、普通に生活をしている子供たちより、大人びていて、物事に冷めている傾向がありますが、今回、突撃キャラバンに参加をし、無邪気な本来の子供の顔を取り戻し、和気藹々と時間を過ごしてくれました。
 生きる為のお駄賃を稼ぐには突撃キャラバンでの数時間は、彼らにしてみれば非常に大切な時間なのです。その時間を割いて参加をしてくれたことに大きな喜びを感じた次第です。突撃キャラバンの最中、日本のバッティングマーチを即興でギターを合わせ、伴奏をし出した彼らに感謝します。

 子供たちの未来を創ること、子供たちへ夢と希望を届けること、子供たちの未来を大きくすること、誰でもがスポーツが当たり前にできる環境を、そして、スポーツを通して少しでも子供たちが自身の夢を自由に描くことができる様に、また、スポーツが持ち合わせる人間教育によって現社会問題である子供たちの非行、犯罪、麻薬を防止していく、そんな環境を創っていくのが「Fu×Bic野球キャラバン」です。
 次回はスラウェシ島のマッカーサルにて、8月中旬に開催をします!

日本人監督の挑戦
著者プロフィール
野中 寿人(のなか かずと)
1961年6月6日生。日大三高野球部在学3年の夏に西東京代表にて全国高等学校野球選手権大会に出場。
その後、日本大学体育会硬式野球部へ進学。日本大学では1年の秋から体調を壊し2年間の休部をし、現役野球人生を終える。大学卒業後は、フィリピン、サイパンなどで仕事をし2001年にインドネシアのバリ島へ移住。2004年からバリ島の子供達に野球を教え始め2005年にリトルリーグを発足。2006年にはバリ州代表監督に就任、また、クラブチームを発足。2007年にはインドネシア代表ナショナルチームの監督に就任。2007年のSEAゲームスで銅メダル、2009年のアジアカップで優勝、同年のアジア選手権大会へ出場。その後、インドネシア代表ナショナルチームの監督を辞任し、地方州底上げの為に、東ジャワ州代表監督に就任。2011年のインドネシア国体予選で準優勝、2012年のインドネシア国体前哨戦で優勝、同年のインドネシア国体決勝大会で銅メダル。そして2014年からインドネシア代表ナショナルチームの監督に復帰をし、2015年の東アジアカップで準優勝。

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