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"世界の野球"「ライセンス制度の導入」

2015年11月30日

文・写真=野中寿人

 2003年前後のインドネシア代表ナショナルチームに、当時MAX136キロを投げる、弱冠20歳の有能なピッチャーが在籍していました。国際大会において、東南アジア王者のフィリピン代表にも投げ勝っている実績も残っています。
 後に、アジア野球後進国を代表する投手として頭角を現す、タイ代表の白倉キャサダー投手、フィリピン代表のダーウィン・デラ・カルサダ投手、そして、パキスタン代表のイーサン・ウラー投手らが出現する以前の時代であり、アジア野球後進諸国全体の期待を担う選手であったことは間違いありません。物事には、もしかしたらという言葉は適応できませんが、弱冠20歳という年齢からも、日本でもプレーが出来た可能性を期待させる素質を持ち備えた選手だったことは確かです。

 しかし、当時のインドネシアには的確な指導力とメンテナンス力を持ち合わせていなかったために、この有望な選手を潰してしまったという、非常に残念な事例があります。当然のこととして認識上の見解から指導者への責任も問われません。まさしく、国家財産の消滅です。
 素質のある選手、天性的能力を備えた選手が現れても、現在のインドネシア国内では、現地人監督の力量の問題から育成が難しく、その為にも、前々項で記した様な、現地人監督育成の為の日本や海外での「修行プログラム」が必要になります。また、この現地人監督育成のプログラムに関連した重要な実行事項として、国内において、監督としてのランクを定める「コーチライセンス」の導入が挙げられます。

 この「コーチライセンス」は、各ランクによって、国の代表チーム、州の代表チーム、クラブチーム、リトルリーグ、ポニーリーグなどの、ビッグ、シニア、ジュニア、メジャー、マイナー、Tボールへの分類、そして、大学、高校、中学、小学校、幼稚園といった各学校などの「指導可能な範囲」を明確に確定させるものです。
 監督としての実績と、毎年の進級試験の導入による、ランク昇進制度を設けることによって、監督としての指導の質の向上と維持をさせて行くもので、定期的に、継続をして、日本や海外でのコーチ修行をも含むプログラムになります。
 シートノックも満足に打てないようでは監督の任務は務まりません。また加えて、野球理論、戦略、バイオメカニズム、コンディショニング、メンテナンスといった全般的な修行を経て、選手への誤指導による、身体破壊の責任問題をも強く認識をさせます。

 このコーチライセンス制度を持って、インドネシア野球全体としての、指導上の理論の同類性を持たせ、冒頭に述べた選手以外にも、有能な選手を潰してしまうケースが多く起こっている現状の悲劇を、出来るだけ早急な対応にて、避けなければいけません。その為にも、この「コーチライセンス」の導入実施が必要なのです。
 2007年の代表監督就任時に、当時のインドネシアアマチュア野球連盟に、この「コーチライセンス」のシステム導入を嘆願しましたが、実行までには至らず、昨年、ようやっと形を得ました。しかし、残念なことに、形を得たままで終わっており、是非、この機会に、この「コーチライセンス」を、充実した内容に移行させるべく実行させたいと思っています。

 更にもう1つ、この「コーチライセンス」のシステムに則り、「審判ライセンス」の導入も非常に大切になってきます。各機関の主催する審判講習会へ参加をし「参加終了証明書」を取得することも重要ですが、これだけでは真の質の向上はあり得ません。スリランカ出身のスジーワさんが最も良い実例で、審判として日本の大会(甲子園大会を含む)で、そして、アジア圏の国際大会で素晴らしいご活躍をされておられます。
 インドネシアの審判としては、現在、2009年のアジアカップ大会で最優秀審判賞を受賞された、ジャイン氏という方1人のみが、アジア圏のアジアカップ大会やアジア選手権大会で審判を務められていますが、国内で審判をしている若い者達にも、国際大会で審判が務められる様な質を持たせるために、日本や海外などで審判の修行をさせるプログラムが必要であり、国内でランクを定め、上記の「コーチライセンス」同様に「審判ライセンス」なるものを発給して、各大会の統轄範囲を明確化させて強化して行かなくてはいけません。

 尚、この「審判ライセンス」も、昨年、形を得ましたが実行されていない状態であり「コーチランセンス」と合わせて、施していきたいと思っております。

日本人監督の挑戦
著者プロフィール
野中 寿人(のなか かずと)
1961年6月6日生。日大三高野球部在学3年の夏に西東京代表にて全国高等学校野球選手権大会に出場。
その後、日本大学体育会硬式野球部へ進学。日本大学では1年の秋から体調を壊し2年間の休部をし、現役野球人生を終える。大学卒業後は、フィリピン、サイパンなどで仕事をし2001年にインドネシアのバリ島へ移住。2004年からバリ島の子供達に野球を教え始め2005年にリトルリーグを発足。2006年にはバリ州代表監督に就任、また、クラブチームを発足。2007年にはインドネシア代表ナショナルチームの監督に就任。2007年のSEAゲームスで銅メダル、2009年のアジアカップで優勝、同年のアジア選手権大会へ出場。その後、インドネシア代表ナショナルチームの監督を辞任し、地方州底上げの為に、東ジャワ州代表監督に就任。2011年のインドネシア国体予選で準優勝、2012年のインドネシア国体前哨戦で優勝、同年のインドネシア国体決勝大会で銅メダル。そして2014年からインドネシア代表ナショナルチームの監督に復帰をし、2015年の東アジアカップで準優勝。

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